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ミモザ生活文化研究所  

 

 

著述 講演 国際人養成実践講座 新聞・雑誌掲載記事 ジュネーブ便り 事務総局長スピーチ

               内海善雄    YOSHIO UTSUMI  for Global Development  

 国際電気通信連合(ITU)で、8年間事務総局長をしましたが、引き続き、国連情報社会サミットで合意した情報社会の建設に微力を捧げたいと思います。

 

 

ICT産業の凋落はセロトニン欠乏症が起こした

  解決方法は、老人健康法の実践

 日本人は、間違った英語を話して恥ずかしいと思い、なかなか話さず上達しない。脳科学者の中野信子氏によると、脳内の「セロトニン」という神経伝達物質が十分にあると、安心感を覚え、やる気も出るが、日本人は、セロトニンの量を調節しているセロトニン・トランスポーターというたんぱく質の数が少ない人の割合が世界で一番多く、世界一、不安になりやすい民族だそうだ。そのため英語を話そうとせず、上達しないという。

セロトニン不足で外国語が下手な日本人

イスタンブールを歩くと多くの人が日本語で話しかけてくる。彼らは、1年間ぐらい勉強するとほぼ完ぺきに日本語を話すことができるという。しかし、日本人は同じことをしてもトルコ語を話せない。

かつて国際社会で英語の下手な国民といえば、日中韓が決まり相場であったが、中韓の経済発展に伴う国際化で彼らの英語力は飛躍的に向上した。先に発展していた日本人だけがなぜ取り残されているのか理由が分かったような気がする。

しかし、日本人にも例外がある。筆者の後輩で、韓国とインドネシアの大使館に出向した者の中に、1年もしない間に現地語を話すようになった者がいる。留学経験もないごく普通の青年たちだが、日本での勤務態度は、極めて積極的、上司に対しても恐れを知らぬ不遜な態度が取れる者であった。もしかすると、彼らはセロトニン・トランスポーターを、トルコ人並みに持っているのかも知れない。

 海外でパーティーに出席すると、多くの日本人は隅の方で、仲間同士かたまっている。そんな中で、日本の政治家が出席すると、ろくに英語も話せないのに、堂々と外人の輪の中に入り、愛嬌をふるまっている。彼らはセロトニン・トランスポーターの数が多い人種なのだろうか。

ビジネスでも失敗を恐れる日本人

ビジネスの世界でも、同様のことが言えそうである。ソ連郵政省の高官であった友人から何度も聞かされた話は、「日本の企業はスピード感が無く、調査と会議ばかり、しかし、一旦決定されると完璧な仕事をする。そのことがソ連政府に理解される前に、商談は他国企業に取られている。」ということであった。これは官僚主義と非能率で崩壊したソ連政府高官の言である。

大学を卒業して最初に就職したのは、某超一流電機総合メーカーであった。そこでよく聞いた話は、「優秀なあの人は、xxプロジェクトで失敗したのでもう浮かばれない」という類の噂話であった。この企業は、今、苦境のどん底にある。一方、現役を退き、顧問として世話になったトヨタで幹部からよく聞いた話は、「私は、ラインを止めた」という失敗の自慢話であった。

かつて世界を制覇した日本のICT産業は苦境に喘いでいる。技術と人材、資金力がありながら日本企業は敗退した。電子交換機の通信網からインターネットへ、携帯電話の3G化、携帯電話からスマホへと大きな通信革命の流れのなかで、日本企業はシスコ、ノキア、サムソン、ハウエイ等の海外企業に取って代わられた。経営者や解説者から、独自規格、高賃金、円高などの日本がダメになった尤もらし理由を多く聴かされたが、ITU(国際電気通信連盟)から世界を見ていた筆者には全て言い訳としか思えなかった。本当の理由は、先を読みリスクを取る決断に躊躇したことに尽きると思う。

以上のような日本人の傾向は、日本人は生まれつきセロトニン・トランスポーターが少ないからだと言われると納得がいくような気になる。中野信子氏によると、日本人も3%ぐらいはセロトニン・トランスポーターが多い人がいるが、残りの93%は、不安になりやすい人たちだそうだ。一方、米国人は32%の人が多く持っているとのことである。

生活習慣がセロトニンを減らした?

しからば、人為的にセロトニンを増させればよいのではないかと思う。ネットを検索すると、多くのセロトニンのサプリメントが販売されている。これを摂取すると、不安も消え、元気になり、リスクを取って積極的になれるのだろうか? もしそうならば、「一億総活躍社会」の実現にも大いに貢献できそうだ。是非、専門家の意見を聞きたいものである。

更に、ネットにはセロトニンを増やす方法が載っている。どの記事もほぼ同様で、以下のようなものである。

@ 早寝早起きの規則正しい生活を心がける

A太陽の光を浴びる

B リズミカルな運動をする

C 食事をする際に、よく噛む

D グルーミング・スキンシップを行う

E トリプトファンを含む食品(肉、乳製品、豆等)を食べる

F 腸内環境を整える

これらはまさに、老化予防の健康法そのものではないか。さて、ここからは素人の推測である。日本のICT産業がダメになった理由は、日本が豊かになるにつれて、生活環境が変化したことにあるのではないだろうか。

戦後の貧しい時代には、大家族で、早寝早起、太陽の下を良く歩き、少ない食事をよくかんで食べた。しかし、今の都会生活は、小世帯で、夜遅くまでテレビやパソコン、加工食品を口に掻き込み、化学飲料やアルコールを多飲し、エスカレータを使い歩くことも少ない。便利で快適だが、健康的とは言えない生活に一変している。

遺伝的にセロトニンの少ない日本人は、知らない間に更にセロトニンの分泌が少なくなるような生活習慣になってしまっている。そして、より不安傾向が強くなり、元気もなくなった。若者は、決められたことは真面目にこなせるが、覇気を失い、経営者たちも前例に従い、横並びをすることで安心感を得る。リスクを取るようなことができなくなってしまったのである。

この素人の推測が当たっていたなら、行き詰った日本の現状からの脱皮は、老化予防の健康法の実践と言うことになる。当たっていなくとも、健康になれるならそれに越したことはないではないか。

 

 

 

ICT国際戦略

 日本の将来を決めるICTの国際競争力の強化を、この世界で成功をおさめた著名な方々が真剣に議論し、提言をまとめました。

 「ICT(情報通信技術)は、〜略〜 これに戦略性を持って当たれるかどうかが、我が国の繁栄を左右すると言っても過言ではない。産業の衰退スピードを考えると残された時間は少ない。

 (ITC情報エレクトロニクス研究会 提言書より)

メンバー

提言書

報告書
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊かでなくなり、幸福感を得られない日本人

10年ぶりにバンコックへ遊びに行ったところ、市内の有名な観光スポットは、中国人観光客に占拠されていて、日本人らしき観光客はほとんど見当たらなかった。さらに驚いたのは、王宮の博物館の説明パネルの使用言語に英語やフランス語はもちろん、ロシヤ語や中国語、それに韓国語があるのに、日本語がないのである。日本のプレゼンスが堕ちてしまっていることを痛感させられた。

海外だけではない。先日、紅葉を見に京都の南禅寺に行ってみると、ここも中国人ばかりである。隣の見返り阿弥陀仏のおわす永観堂も、日本人でもあまり行くことのない寺なのに、同じ状況となっていた。日本人は、観光する余裕もなくしたのかと素朴な疑問がわく。 

楽観的評価と悲観的評価

我々は、日本の経済状況に矛盾した認識を持っていると思う。その一つは、中国に追い越されたとは言え、世界第3位の経済大国という自負である。特に国際関係や開発国援助などでは、この意識を強く持つように思う。いまだに国連総会での総理のスピーチは、「xxドルの援助をする」と誇らしく宣言するのが恒例である。

一方、内向きになると、老齢化や地方の衰退など、悲観的な貧困が意識にのぼる。総選挙での野党のスピーチが典型だ。

 客観的に見ると、一体日本の立ち位置はどのようなものだろうか。

 経済指標で最もポピュラーな一人当たりGDPを比較すると、経済大国とは言い難い状況であることがよく分かる。IMF統計で、日本は、カタール(1位)、ルクセンブルグ(2位)、シンガポール(3位)、ブルネイ(4位)クエート(5位)、ノルエー(6位)、スイス(9位)米国(10位)などのトップグループの半分ぐらいの36、600ドルで27位である。香港(10位)や台湾(22位)にも負けている。ちなみに、韓国(30位)が日本に続く。

この統計を見る限り、日本人は近隣の先進アジア諸国より「金持ちだ」とは言えなくなっているのである。しかし、中国は、89位、まだまだ日本人一人当たりGDPの3割程度に過ぎずないのでる。

GDPは、単なる1年間の経済活動を表すフローの概念であって、必ずしも豊かさを表すものではない。国民一人あたりのストックを比較したものとして、国連大学(UNU)と国連環境計画(UNEP)がまとめた「包括的な富に関する報告書」(The Inclusive Wealth Report 2012)というものがある。生産資本(道路、建物、機械など)に加え、人的資本(労働、教育水準など)、自然資本(森林、原油、鉱物資源など)を測定し、20カ国を分析している。

ここでは、日本が、米、カナダ、ノルエー、オーストラリア、独、仏を抜いて、特に人的資源が高く評価され、世界第一位となっている。経済活動は低迷しているが、自然環境や社会環境、過去の蓄積などを総合的に勘案したら、日本人は豊かだということだろうか。 

日本人より金持ちの中国人

このような統計数値を見る限りは、日本も捨てたものではなく、なぜ日本人の影が薄く、いたるところに元気な中国人が溢れているのか理解しづらい。

しかし、国の所得格差比較を見ると想像がつく。国連(UNDP)の数年前の調査によると、全世帯を所得の大きさで10階級に分類したとき、最富裕層と最貧困層の所得比が日本では4.5倍であるのに対して、中国では21.6倍となっている。単純な算術計算で、中国トップ階級1億3千万人の一人当たり平均GDPがおよそ24、900ドル、日本人の約7割となる。このグループのうち、何千万人かは、日本人を超える計算となる。このクラスの中国人が世界中の観光地にあふれていると考えると納得がいく。

さらに、このクラスの人が中国社会を支配し、経済政策や外交政策を取り仕切っていると考えると、今日の中国を理解しやすい。

しかし、豊かさは金銭面だけでは測れない。精神的な要素も入れて国民が満足しているかどうかの調査もある。

国連の幸福度調査(World happiness report 2013)では、デンマーク、ノルウェー.スイス、オランダ、スウェーデン、カナダ、フィンランド、オーストリアなどのヨーロッパ諸国が上位を占めているのに対して日本は、156か国中43位である。しかも、日本は5年前の数値からも下落していることが報告されている。ちなみに中国は、93位である。

OECDの幸福度調査(OECD Better life index)でも、加盟国36か国中26位となっていて、日本人は、先進西欧諸国に比較し、幸福感を持っていないことがわかる。元気のない日本人を端的に表している調査結果であろう。

 身の丈に合った新しい価値観が必要

これらの統計から、日本が経済大国だという認識は、現実からかなり遊離していることが分かる。また、一方、老齢化や人口減で悲惨な日本という悲観的なとらえ方も、ストックで一位である評価が存在することを考えれば、極端すぎる認識である。思い込みや、政治的思惑を排し、現実をよく見定めて、身の丈に合った国の外交政策や社会政策を樹立しなければならないと思う。

いずれにしてもGDP至上主義を卒業して、違うものに価値を見出さなければ、我々は幸福感を得られない経済状況にあることは間違いない。

幸福感の高い北欧などの国々に共通して言えるのは、個性や能力に応じた教育で、日本のように上級学校を目指すことが教育の目的とはなっていないこと、職業訓練の充実による就業機会の確保、高負担を伴うが高福祉政策をとっていることなど安定した、ほどほどの生活とゆとりをエンジョイする術を心得ていることだと思う。

経済発展や上昇志向だけがすべてではないことを、個人は勿論、国のレベルでも早く学習することが求められているのではないか。

 

 

 

 

 

原子力エネルギーを鳥の目で見る

車には平気で乗れるのに、飛行機は怖くて乗れない人がいる。

過去20年間の事故統計によると、世界の主要な民間航空会社が運行する航空機に搭乗して、死亡事故に遭遇する確率は0. 00002%である(http://planecrashinfo.com/cause.htm)

一方、日本の交通事故死者数は、年間およそ5000人であるから、国民1億人が、1年間に交通事故死する確率は、0.005%となる。1年間に200回飛行機に乗っても、死ぬ確率はまだ交通事故よりは低いことになる。 

原発事故のリスクは交通事故の1/1000以下

人は、往々にしてコントロールできない感情に支配される。しかし、その程度が度を越すと異常となってしまう。今日、日本に蔓延している反原発論は、はたして理性的なのだろうか。

今まで、周辺の住民に大きな被害を与えたような原発事故は、チェルノブイリ、スリーマイル島、福島と、世界で3件起きている。技術進歩や安全対策で原発の安全性はよほど高まっているが、仮に人の一生80年間に同様の事故が5件起き、そのつど100万人の住民がなんらかの被害を受けると大胆に仮定すると、70億人の人類にとって、1年間に被害にあう確率は、0.0009%となる。

一方、日本の交通事故は、1年間におよそ80万件、日本人にとって、0.8%の確率である。これは、原発事故被害の1000倍も危険なことになる。

さて、CO2による温暖化を阻止しなければならないことは、原発反対派も認めるところである。反対派は、原発を稼動させなくても、知恵を絞れば持続可能な自然エネルギーで電力をまかなうことが可能だと考える。推進派は、持続可能な自然エネルギーだけでは、とうてい不可能だと考え、原発の稼動が必要と主張する。詰まるところ国論を二分する原発論議は、「原発」論議ではなく、「持続可能な自然エネルギー」論議なのである。ところが、「原発」にとらわれて、肝心の「持続可能な自然エネルギー」については具体的な言及が少ない。

しかし、ICT(情報通信技術)はたいしたものである。その気になれば誰でも容易にネット上で情報を得て、ことの本質を知ることができる。  

全エネルギーのグリーン化は実現困難

経産省資料によると、原発一基分の年間発電量70kWhを生み出すのに必要な設備投資額は、原子力の場合2800億円で済むが、太陽光パネルでは39000億円で約14倍も必要であるとなっている。また、そのために必要な敷地面積は、原子力0.6km2に対し、太陽光は58km2(山手線内側の面積に相当)で約100倍必要とのこと。

http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g90327d02j.pdf

風力発電の場合は、8700億円で原子力の約3倍、敷地は、214km2(山手線内側の面積の3.4倍)で約350倍必要となるそうである。

http://www.kyuden.co.jp/effort_renewable-energy_wind_faq.html

たとえ技術革新でコストが相当下がっても、今まで稼動してきた原発を持続可能な自然エネルギーに代替することは何倍ものコスト高になり、日本経済は壊滅状況になることが容易に分かる。たとえ経済的に解決できたとしても、立地問題によって立ちふさがれ、逆立ちをしても同じ量の電力を持続可能な自然エネルギーで代替することは不可能である。

地球規模の試算もある。Ann Parkins というジャーナリストが、人類が必要としているエネルギーを自然エネルギーで賄おうとするとどのようなことになるのか試算している。

太陽光発電パネルだと、スペインの国土に相当する496805km2の面積が必要。高さ100メートル・出力5メガワットの風力発電機だと、その数800万台が必要。出力750キロワット潮力発電機の場合は、1500万台。出力7メガワット・発電効率95%の地熱発電設備だと、100万か所が必要だそうだ。これでは食糧生産のための農地も確保できなくなる。

そして、約30兆ポンド(4800兆円)の建設投資が必要だが、それは世界の富の21%に当たるとのことである。一方、人類は現在、非持続可能なエネルギー、すなわち化石燃料にGDPのたった約1%しか使っていないという。

http://www.quickquid.co.uk/quid-corner/2013/09/03/the-cost-of-going-green-globally

このように全エネルギーを持続可能な自然エネルギーに代替することは、「知恵を絞ればできる」程度の問題ではないことがあまりにも明白である。

 原発反対論の有力な根拠に、地殻の不安定な日本列島では10万年間安全を保証する地層がないので使用済み燃料の廃棄処分場を建設できないというものがある。地球温暖化による異常気象はすでに始まっている。そして数十年先には致命的になる。そんな差し迫った危機を、10万年先の、あるかないのか分からないリスクのためにないがしろにすることは、信じられないほどナンセンスである。しかも、使用済み燃料は、現在、裸同然の状態で深さ10mの水のプールの中で保管している。それでも十分に安全なのである。

このように見てくると、反原発派の議論は飛行機に乗れない人の話と同じだと思う。

 原子エネルギーも枯渇

十年単位で見れば、人類にとって一番に重要なことは、なんとかCO2を削減し、異常気象による大被害を阻止することではないだろうか。そのためには、たとえ交通事故以上に危険度が高かったとしても、原子力エネルギーを活用してCO2排出を抑える以外に、現在のところ方法はないだろう。

ところが、化石燃料はおろか原子燃料さえも数百年で枯渇するという。百年単位で見れば、人類はなんとしても持続可能な自然エネルギーのみに依存できる社会を創らなければ種の保存ができなくなる。それは、宇宙空間での発電など、現在では全く不可能と思われる革命的な技術開発であり、また、想像を絶する超節電社会への大変革であると思う。

「人口減少による日本経済の縮小再生産を抑止しなければならない」と唱える経済学者が多いが、日本人のアリの眼は、原発に対してだけではなさそうだ。

 

 

 

 

 

できるか臥薪嘗胆、自然を守るために

伊豆大島の土砂災害報道に接するたびに、多発している異常な風水害のことを思わざるを得ない。海水温度のわずかな上昇による大きな気候変動の結果である。もし、気象変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次報告書が指摘しているような温暖化が進めば、海面水位が今世紀末までに80センチも上昇する。それだけではなく、日本全国で伊豆大島と同様の山崩れが起きるに違いない。 

迫りくる自然破壊と食料危機

今、人類が抱えている最大の問題は、この気候変動による自然破壊と、人口の爆発的増加や生活レベルの向上で食料や資源が枯渇してしまうことである。

アースポリシー研究所長レスター・ブラウンは、もし中国経済が年8%成長を続けるならば、2031年までには1人当たりの所得が米国と同じになり、彼らが今の米国人並みに紙を使うと、現在の世界生産量の2倍を中国で消費することになるという。また穀物は、現在の全世界消費量の2/3を中国一国で消費するという。さらに、インドやアフリカも控えているのだ。すでに、中国のPM2.5大気汚染は、その都市が収容することができる人口と生活レベルの限界を超えていることを示している。

この起こりうる危機を避ける方法は明白である。人口増加を抑制すること、超省エネ生活である。極端に言えば、21世紀の大量消費社会を中世的な自然と調和した生活社会に戻すことである。しかし、無制限な経済成長を前提に、より豊かになることを至上としてきた人間が、自ら耐乏生活を選べるだろうか? 

10数年前に、アウディが開催した車のスリップ対処法の講習会に参加した。スイス・ダボスの氷結した湖上のトラックで車を走らせ、カーブでブレーキを掛けてスリップした車を建て直すのである。車があらぬ方向にスリップし始めると、あわてて障害物を避けようとハンドルを切る。しかしハンドルは全然効かない。ハンドルを逆にスリップする方向に切ると車輪が湖面に沿って回転し, コントロールをとりもどす。

理窟は分かっているが、体はどうしても障害物を避けようと動いてしまう。 動物に備わった障害物を避けようとする本能に、理性で抗うことは至難の技なのだ。ところが、運動神経の鈍そうな参加者全員が数度の訓練でコツを覚えることができた。

  このような極めて生物学的本能に対しても訓練すれば理性的に動くことが可能ならば、人が生まれて後に習得する社会的な慣習や習慣を変えることは容易なはずだ。

 自慢できるか  日本人

東北大震災の時、被災地では、略奪や暴動も起きず秩序ある行動をした。国民は、電気を節約し、派手な行動を自粛し、ある者はボランティアとして馳せ参じ、多くは募金に応じて被災者のことを思った。  皆、自己欲望を制御し、被災者を思った。そして「絆」が、時代の言葉となった。

世界各国から日本人だからできたと称賛された行動であったが、本当に日本人でなければできなかったのだろうか?

西欧には、真っ先に逃げ出した座礁船の船長もいるが、タイタニック号沈没の際の美談を始め、最近のチリ鉱山に閉じ込められた人たちの生還物語など、危機に面して秩序正しく全体の利益を追求した美談は枚挙のいとまがない。

人間は、どうも洋の東西を問わず危機に直面すれば種族保存の本能が働き出し、自然と自己犠牲をもいとわない行動をとることができるようである。しかし、自然破壊と資源枯渇問題に関しては、いずれそのようなことが起きると認識はしているものの、「今ではない」と、たかをくくっている。

数年前に、テレビでも北極の氷が溶け、痩せ衰えた白熊の姿などが何度も放映されてCO2による気候変動問題が、国際的な関心を惹いた時があった。当時の鳩山由紀夫総理は、唐突に1990年比25%削減の国際約束をした。そして国際社会から絶賛を浴びた。

だが、産業界は無論、国民も実現可能性を疑問視し、冷ややかであった。凡庸な者は、先が見えず危機意識がもてない。しかし、早くから問題点を把握し、危機意識をもって対処できるのが良き経営者であり、良きリーダーである。(もっとも、鳩山総理が本当に危機意識をもっていたかどうかは分からないが、、、)

そして福島原発事故以降、日本人はすっかりCO2のことは忘れて、脱原発論議をしている。しかし、この日本の国際約束は今も生きているのである。嘘を言わず信義に厚いと自称している日本人が、今は約束を忘れて「原発は嫌だ」と甘え、CO2を削減するどころか、以前より大幅に増やしている。情けないほど利己的な姿だ。人々の意識は、かくも移ろい易いものである。 

重責を担うマスコミ

もし、かつて気候変動問題に熱心であったメディアが、引き続きCO2削減に真剣に取り組んでいたらどうだっただろう?  とても原発反対などとは言えないのではないか。また、今、我欲に陥っている日本人も、震災当時抱いていた省エネと辛抱の気持ちを維持できていたのではなかろうか。

情報社会では、とかく世論形成に重要な役割を担うマスコミに責任を覆い被せておけば解答を得たような気になる。しかし、メディアが気候変動問題に不熱心なのは、多くの国民が「まだまだ先のことだ」と思っていると見ているからだ。まさに鶏と卵との関係であるから、メディアにだけ期待するのは、無理だろう。だが、伊豆大島と同様の災害が全国規模で起きれば、また、品不足で食料品価格が10倍にでも高騰したら、あっという間に状況は変わるだろう。残念ながら、その時では、遅すぎる、、、、

我々は、忽然と歴史上から消えたマチュピチやイースター島を常に思い出し、「贅沢したい」、「楽したい」、「原発は嫌だ」というような欲求を、理性的、かつ科学的判断でなんとしても抑制しなければならない。

心すべきことは、現在支配的な指導原理である自己主義や、自由競争原理は、フロンティアが存在した19−20世紀には有効な思想であったが、資源の枯渇した21世紀には、大幅な修正が必要だということだ。

 

 

 

 

 

日本人のiPhone好きが及ぼすICT産業の苦境

 

とうとうドコモがiPhone の販売をするようになった。先行して販売するソフトバンクとKDDIに、ここ数年間、アンドロイド・スマホしか売らないドコモは、シェアを奪われ続け、仕方なく選んだ苦肉の策だ。その結果、ドコモに依存していたNEC、富士通、パナソニックなどの日本の端末メーカは、全面的にスマホ事業から撤退を余儀なくされている。勿論、通信機事業は端末製造だけではなく、ネットワーク建設関連の重要な部分がある。しかし、携帯電話がスマホに置き換わり、PCがタブレットに置き換わっている今日、スマホ事業からの撤退は、メーカとしては致命的である。

それだけではない。ドコモがiモードを中心に築き上げてきたコンテンツや「ワンセグ」「お財布携帯」「NOTTV」など、日本独自のサービスは、iPhoneでは使えない。世界に先駆けて開発してきたこれらの誇るべきサービス資産も価値がなくなるのである。また、dショップやdビデオなど、アンドロイド端末に初期設定されているドコモ独自のサービスも、おそらく使われることがなくなり、アップルのプラットホーム・サービスの軍門に下ることになるだろう。

これは、単にドコモがiPhoneを販売することになったと言う単純な出来事ではなく、日本の基幹産業の一つであるICT産業の未来が壊滅的な状況になることを暗示する国家的な出来事だと思う。このような大事に際して、政策当局から何の声も聞こえないことも不思議なことである。 

世界ではアンドロイドが主流

しかし、iPhoneが人気を博し、圧倒的なのは日本だけの現象のようである。世界ではすでにiPhone神話は終了し、アンドロイド端末が主流となっている。ちなみにカンター社の調査によれが、スペインでは90%、ドイツでは79% フランスでは63%の新規端末がアンドロイドである。

世界でアンドロイドが普及する理由は、サムソン製端末の価格の安さだと言われている。世界市場では、iPhoneは高価格品であり、贅沢品なのだ。

ところが、日本では事情が異なる。日本のアンドロイド端末は、従来の「お財布携帯」などの日本独自のサービスを使うこともでる世界一高機能なスマホであり、またデザインもiPhoneに引けをとらない。アプリも、iPhoneよりは多いぐらいだ。アンドロイド端末は、iPhoneには勝るとも劣ってはいない高品質品だと思う。

なぜ日本ではこのように魅力的なアンドロイド・スマホが嫌われ、iPhoneが選ばれるのだろうか。世界に先駆けて高度なサービスと端末を開発したと自負するドコモや日本メーカの関係者の心情はいかなものか、察するに余るところがある。

冷静な比較なくiPhoneが選ばれる

しかし、両端末を冷静に比較し、判断できる人はほとんどいまい。そもそも両方の契約をして、使いこなしてみない限りは不可能だからだ。大概の者は、「皆が、iPhoneを使っているから」「格好いいから」「お店の人が薦めるから」「割引が他店より大きいから」などの理由で、たいした比較もせず選ぶに違いない。

営業する代理店では、多数あるアンドロイド端末の販売には説明に時間を要して効率が悪く、iPhoneの販売の方が数倍も営業効率が高いという。そのため自然とiPhoneを薦める。この不利な面を考慮したドコモは、最近、サムソンとソニーの二つのブランドのアンドロイド端末だけに絞り込む作戦(ツートップ作戦)により対抗したが、効果は薄かったようである。今となっては、代理店の営業効率などは関係しなくなるほどのiPhone 人気なのだ。

大の大人が3日間も徹夜の行列をして新型ihone を買う様は常軌を逸しているが、その徹夜組みにアップル・ジュースを配る電話会社社長の姿をテレビ報道して煽るのも異常だ。要するに、皆がiPhoneというブランドを売るお祭りをし、お客も単にブランドを買っているに過ぎないのだと思う。パリのルイ・ビトンの店が日本の女子学生やおばちゃん族の団体さんの集団で溢れかえる状況に、金持ちの常連客はマユを潜め、店主は苦笑いするのとそっくりの日本人のブランド好みだ。

さて、日本で負けたメーカは、アンドロイド端末が売れる海外で商売をすればよいのだが、サムソンとの価格競争に太刀打ちできないから撤退するという。工場や市場を世界で展開するグローバル経営時代に、高級端末製造の技術がありながらコストで太刀打ちできないとは、ひとえに日本メーカの怠慢である。メーカ経営者の言い訳は通用しないだろう。 

科学振興策だけでは解決できない

しかし、日本の利用者も、このあたりで、もう少し賢くなってもよいのではなかろうか。必要もない機能が付加された高額品や、高級ブランド物を無批判に選ばず、本当に良いものを自分で判断することが求められていると思う。

10数年も前、香港でエスコートしてくれた若い女性(香港政庁の役人)は、筆者が日本人としては珍しく香港の有名ブランド品店での買い物に興味を示さないのを見て、「自分は毎年、自由が丘に買い物に行く」と話してくれた。そのとき、海外に長く住んでいた筆者は、東横線沿線の住宅地にいったい何を買いに行くのだろうと理解ができなかった。女性いわく「日本にはセンスのいいものがたくさんある。香港は敵わない。なんで、日本人はセンスの悪い香港に買い物に来るのだろうか?」

日本人は、明治維新で高度な西欧の文物に驚き、敗戦で米国文化に圧倒された経験で、欧米の舶来物が素晴らしいという固定観念からどうしても抜けきれない。本当に良いものを見る眼とセンス、更には、他人の眼を気にしない自主性を身に付けたいものだ。

とにかくこのままでは日本のICT産業が壊滅的になることが明らかである。ICT産業は、単に経済産業面だけでなく、安全保障上の観点からも国を挙げてのその維持発展に取り組まなければならない。

そのためには、消費者の気分や趣向にまで立ち入らなければならず、政治的なキャンペーンが必要である。スマホ事業からの撤退問題は、従来から取られている科学技術振興策や、各種のインセンティブ減税などの産業政策では、まったく役に立たないことを示している。

予想される近未来は、もしかすると日本だけでiPhone 天国ができ、外来種のiPhoneがガラパゴス列島の固有種となる皮肉な現象かも知れない。

 

2013102日付 株式会社カンター・ジャパンのNEWS RRLEASEより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ICT産業の凋落はセロトニン欠乏症が起こした  エルネオス  2016年 1月号

残された時間は少ない  世界貿易センター 情報エレクトロニクス研究会報告書

豊かでなくなり、幸福感を得られない日本人  エルネオス  2015年 1月号

原子力エネルギーを鳥の目で見る  エルネオス1月号

できるか臥薪嘗胆、自然を守るために     エルネオス12月号

日本人のiPhone好きが日本のICT産業を苦境     エルネオス11月号

 

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